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おみこし
地名の由来
馬橋村の小名(字)
江戸時代以前〜
江戸時代の馬橋
新偏武蔵風土記稿
天保新堀用水路
正一位
足穂稲荷大明神の勧請
幕末の事件
明治5年の人口と耕地面積
馬橋弁天池
馬橋村の雨乞い
明治時代の馬橋稲荷
幻の馬橋駅
馬橋稲荷の宮神輿
桃園川の改修
杉並村から杉並町、
杉並区へ
馬橋の小学校
(杉並第六小学校)
村社馬橋稲荷と
社殿の改築
戦災と復興
住居表示改定
馬橋村村名の由来は明らかではありませんが、地元には二つの説があります。

、青梅街道南側、梅里2丁目の梅田ビルと志村ビルとの間にあった泉から流れた小川が、街道を横断して桃園川へ流れ、そこに架けてあった橋が、馬で一またぎするくらいの幅であったので、馬橋と呼ばれ、これが村名になったという説。

、阿佐ケ谷南2丁目の馬橋稲荷神社裏手の桃園川の湿地帯を、軍勢が通ったとき、馬を橋代わりにして渡ったので、馬橋の地名が生まれたという説です。

上記の説の内、には無理が有ります。馬が一またぎする小川を理由に「馬の橋」という地名を名付けることはあり得ません。

の説は、文明11年(1479年)に杉並区・中野区近辺で太田道灌と豊島氏の間 で激しい合戦があったこと。当時、合戦の戦法で馬を橋代わりに湿地をを渡ることが ありました。戦略的に意表を突く方法でもありました。 馬橋村中央部「桃園川流域」はかなりの湿地であり、馬の背を橋代わりにしたことは 充分うなずけます。 この理由によりの説を有力と考えます。

馬橋村絵図
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