大正から昭和へ 1
鎮座地
東京都杉並区阿佐谷南2-4-4
幻の馬橋駅
当時の中央線は中野荻窪間に駅がなかったので、馬橋の人々は目の前に線路が走っているのに、30分も歩いて中野駅まで行かなければ、汽車に乗れない不便さを味わっていました。
馬橋の浅賀源太郎氏(高円寺4-31康敏氏の祖父)が鉄道省へ新駅誘致の陳惰をして、「将来、新駅開設の場合は、中野荻窪間に、4哩(マイル)の中間地点に駅を設置する」との内示を得ました。
浅賀氏は関係地主に、新駅設置内示を示し、これを他人に漏らさない誓約を得たのち、中野駅より1、2哩(マイル)の地点・新駅予定地の線路を横断して早稲田通り、青梅街道、五日市街道を南北に結ぶ馬橋中央道路を建設して、新駅の開設に備えました。
大正9年の春、鉄道省より「新駅用地提供願を出すように」との指示がありました。
しかし、村の一部に新駅誘致に反対するひとがあって、駅の用地提供がまとまらず、会合を重ねているうちに、このことが阿佐ケ谷の相沢喜兵衛氏の耳に入りました。
相沢氏は高円寺の伊藤兼吉氏等と共同して、政友会(政党)の古谷久綱、高木正年両代議士に頼み、二駅誘致の猛運動を行い、遂に政治力で高円寺駅と阿佐ケ谷駅の開設が決定し、馬橋駅は夢と消え去りました。
大正11年7月に、高円寺駅阿佐ケ谷駅が開業、浅賀源太郎氏の発案で、駅から青梅街道までの線路(新高円寺通り)が新設されました。
大正12年9月1日の関東大震災後、旧市内から移住者がどっと押し寄せ、駅付近の畑は住宅街に一変しました。
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