当社では結婚式を人生の最も大切な儀式と考え、形式ではない心のこもった儀式と致しております。
そのため事前に『日本の文化』や『儀式の意味』について理解を深めた上、挙式に臨んでいただきます。
式を通して結婚後にもお役に立てばと存じております。
また厳粛な儀式を心静かに齋行するため、結婚式は一日一組のみお受け致しております。
電話にてお気軽にお問い合わせ下さい。
相互の予定を確認の上、下見にお越しいただき、詳しいお話を致します。
実際に神社の雰囲気を感じた上、当社の結婚式への方針等、挙式するお二人の気持ちと合致した場合にご検討後予約をお受け致します。
(03-3311-8588 担当 禰宜 本橋)
当社の決まった行事が年間数日有ります。また一月の初詣や十一月の七五三等、結婚式を挙げる方にかえってご迷惑をお掛けするような場合はお受けいたしません。
大安の土日等ご希望の場合は、なるべくお早めにお申し込み下さい。
当社での挙式決定後、予約を受付ます。仮予約は受けておりません。
暦の上で年の変わるお正月や節分に多くの方が厄年のお祓いを行います。厄年は一般的に災いが起きやすいと言われますが、ただそれだけなのでしょうか。
本来はそこにもう少し深い意味があるように思います。
配慮する対象は「見えぬもの」「言わぬもの」自然・祖先・社会の連鎖・規範・人心、感知できるあらゆるものです。これを私達の祖先は八百万の神と言ったのです。神は「いるとかいないとか」ではありません。その大切さを「感じられるか感じられないか」なのです。
カミ(神)を『カ』陰・隠れる。『ミ』身・実と解釈すると『隠れ身』となり分かり易いでしょう。「隠れたところ・見えぬところにこそ大切な霊・魂がある」ということです。厄年も結婚式も初宮参りも成人式もあらゆる儀式は生き方を考える時です。厄年-その年齢に相応しい心とは。結婚式-夫婦としての生き方とは。初宮参り-子供を授かり親としての心とは。成人式-社会を見極め国政に参加する責任有る心とは。すべて神前に向かい、自身に問い、恥ずかしくない生き方を神様に決意するところに意義があります。それが儀式の重要なところなのです。
厄年を考える前に厄年年表をご覧戴くと数え年とあります。昔、日本では年齢を満ではなく数え年で数えていました。数え年はお正月を迎えると全員、一才年を取るのです。また、生まれたばかりも一才であって0才ではありません。これは年の概念が時間の経過ではなく、一年のひとめぐりを一つの年霊【としだま】と考えたことにあります。生まれた時に一つの年霊を戴き、正月を迎えてまた一つ戴く。年齢はたましいを戴いた数と考えていました。
厄年を災い多き年齢とするだけでは迷信と言われても仕方ありません。では、何故に男女の厄年の年齢が異なるのでしょう。特に女性は三十代に厄年が二度もあるのは不思議です。
厄年を人生の節目の時期と考えてみましょう。役割が変化し責任が増す時、それは配慮が不足すれば問題が生じ易く、逆に重き勤めのある、その人に何かあってはならない時と考えられるからです。
実は、『厄』は『役』と置き換えることすら出来ると思います。
例えば女性の三十代は多くの女性が主婦となり子供を産み、育てます。妻として母として知識・教養に基づく深い思慮を愛情に包み施す至難の技。無くてはならない存在なのです。この大切な方に何かあってはなりませんが、活躍すべき年齢ですから、厄年の間何もしないで過ごすわけにもまいりません。人一倍活動し女性として出来ることをしなければならないでしょう。故に重責はストレスとなり体調を崩しかねません。
では厄年の年齢毎に考えてみましょう。
女性の厄年は『家庭の役割』で考えられています。
女性十九才
少女から女性へ、結婚を前提とした心が現れ、その為の素養を身に付けるときです。
女性としての人生の岐路が潜んでいるのでしょう。現実的に男性が夫として生きることより、女性が妻として家庭の舵取りをすることの方が重要であり簡単なことではありません。女性としての社会の役割を考え始める時期です。
女性三三・三七才
前述したように、妻として母としての年齢。女性にとって最も重要な年代です。婚期が遅くなった現代社会では当てはまらないように思えますが、実際には経験を積み体力も充分あるこの年齢で子供を産み、育てるべきでしょう。夫や子供にとって妻・母は無くてはならない大切な存在です。家をまとめ、活力の源とするための方法。幼き子供を人としてゆく愛情・熱意・計画性。成長する子供を社会の一員として世に送り出す役割。その重責が女性の双肩に掛かかっているのです。世の中が良き方向に行くことは誰もが望むこと。しかしその実現には一人一人が問題です。ここに女性ならではの大きな役割があるのでしょう。しかし重責ではあっても夫が仕事に精を出すこと、子供が立派に成長することはこの上も無き幸せなことです。
男性は古来、社会に出ての仕事を役割としてきました。その為厄年も『仕事年齢』で考えられています。
男性二四才
仕事の上で独り立ちする年齢です。学生を終え、就職するのもこの時期です。仕事は社会の一員として生きることです。仕事の目的を考え、社会や人との繋がりや協調、人心を感知しなければなりません。この生活や意識の大きな変化は、事故や失敗にも充分な注意が必要です。また、この時期の意識の方向性によって、将来大いに左右されることでしょう。近年は結婚年齢が遅くなりましたが、男性が所帯を持つ時期とも言えます。男性としての自覚に立って、責任有る行動を取るべきです。
男性四一才
男性の大厄です。仕事の上では油の乗りきった時期。それまで指示され仕事をこなす立場から人に指示する立場へ。頼りにされ、責任の重い仕事を任されます。今まで以上に神経を使い、人心を掌握する配慮が必要になります。家庭では一家の主として、また父として、妻や子供に対する責任が大きくなってくる時です。また、体力的にはやや下降線。責任と体力の相反する状況に十分注意するべきです。重責や忙しさにストレスや体調不良など。しかし、何かが有ってはならない大黒柱なのです。
男性六十才
還暦。仕事を終え、次の世代を考える年齢です。今まで得た知識・経験を知恵に変えて、次代に伝え、しっかりとした後継者を育てる重責があります。人に教え・育て・導くことの重要さ難しさ。更に上の意識や配慮がなければなりません。また仕事を終えることはそれまでの緊張感から解き放たれる時ですが、それがかえって体調を崩す原因です。この時期を無事乗り越えることによって、長寿への道が開けるとも言えます。しかし自己の保身のみでは社会への貢献はありませんし将来の安定も望めません。次の世代へ繋ぐことは人として大変重要な役です。あらゆるものへ配慮をしつつ勇気をもってもうひと仕事。
こうしたことから、厄年は変調・事故の多い年齢です。決して迷信や脅かしと片づけるものではありません。昔の人は経験の上で、長い人生に節を付ける事の重要性を見出したものと思えます。
人は生まれてから人生を終えるまで降りることの出来ない階段を上って行くようなものです。その中に少し高い階段が幾つか有ると考えれば分かり易いでしょう。この階段をどうやって上るのか。それは様々なものに配慮する心を持つことです。
年齢を重ねれば重ねるほど沢山の知識・教養・経験を積んでいるわけで、年配者ほど多くの配慮が可能なはずです。先述の厄年は仕事・家庭の違いこそあれ、男女いずれも他の人に影響を与える年齢を定めています。今まで以上に配慮の必要な時、自分を以前より成長させねばなりません。そうでなければ他人に迷惑を掛け、自分に災難が降りかかります。厄年が前・本・後の三年間あるのも、心を定着させるためです。『三つ子の魂百まで』『石の上にも三年』と言うように魂が安定するまでに最低三年を要するのです。以前の自分より高見に立ち、三年を過ぎた後も厄を逃れ、たとえ災いが有ったとしても慌てない自分になることです。『転ばぬ先の杖』を作ると言っても良いでしょう。
七五三は授かった子供の無事を神様に感謝し、これからの健やかな成長を祈る祈願です。
また子供にとってこの儀式を通じて三歳五歳七歳に応じた自覚を促し、親としては年齢に相応しい育て方を考える重要な機会となります。
そうした本来のあるべき七五三の儀式とするため、当社では一件ごとに行っております。
お子様が晴れ着でお参りができますように、神社所有の衣装レンタルと 専門の美容師による着付けの衣装セットプラン、専属カメラマン協力による 写真プランがございます。
合計 | 内訳 | ||
衣装レンタル | 着付け | ||
三歳(男女とも) (ヘア、 メイク含む) |
10,000円 | 5,000円 | 5,000円 |
五歲 | 10,000円 | 5,000円 | 5,000円 |
七歲 (ヘア、 メイク含む) |
20,000円 | 10,000円 | 10,000円 |
◎お父様、お母様、兄弟姉妹の衣装レンタル着付けも可能です。お持ち込み着物の着付けはお受けできません。
基本セット(2ポーズで1セット、台紙付き仕上げ)11,000円 追加ポーズ、焼き増し等も可能です。
※別途梱包送料として1,500円
祈願・衣装・写真ご希望の方は事前に当社までご予約下さい。 お気軽にご相談下さい。
馬橋稲荷神社
03-3311-8588
「子供は神様からの授かりもの」と言われます。この神様とは氏神様のこと。ですから子供が産まれると約一ヶ月で氏神様にお宮参りをして報告と感謝をします。そして、「七才までは神の子」と言われるように、生まれてから幼い間は魂がまだ定着していません。神前で祝いの儀式を繰り返すことによって魂を固めていくのです。
七才の祝い以降は氏子となって社会の仲間入りと考えました。義務教育が七才から始まるのもこの名残です。
七五三はこの儀式の一つであり、我が子の成長を神に感謝すると同時に、子供が成長していく過程で、社会の一員として共同体に参加できるようにと願っているのです。また、一方では子供に普段とは違う儀式という厳粛な場を体験させる意図もあります。
江戸時代には七五三の祝いをそれぞれ次のように言いました。
髪置 | かみおき | (三才) | 髪置とは、三才の男女が頭髪をのばす儀式です。生まれて三才頃までは髪を剃り上げていました。 |
袴着 | はかまぎ | (五才) | 袴着とは五才の男子が初めて袴をはく儀式です。袴をはくことで男としての自覚が生まれます。 |
帯解 | おびとき | (七才) | 帯解とは、女子が付け帯びを解いて大人の帯を締める儀式です。付け帯をとり、八つ口をふさいで小袖を着せ、幅広の帯を締めます。魂を内にしっかりとどめ、身をもちくずさぬようにとの願いが込められたといいます。 |
いずれにしても三才は一人歩きを始め、五才はやんちゃで目が離せない、七才は社会の仲間入り(現代では小学校入学)という、親にとっては心配な時期を七五三というめでたい数字にのせ家族の笑顔の中で子供の成長を見守ることは昔も今も大切なことにかわりありません。
氏神様に詣でる意味は先述でお分かりだと思いますが、ただ神社に行き賽銭箱の前で手を合わせれば良いというものではありません。
参拝には正式と略式とがあります。
●略式参拝
いわゆる「お参り」といって神殿前でお賽銭を入れて参拝するのは略式の参拝です。
●正式参拝
正式参拝とは神殿に入り祓いを受けて身を清めたうえで神前に進み、神様に参拝することです。少なくとも儀式と呼ばれる重要な節目には正式な参拝が必要であり、神様に対する礼儀といえます。
いろいろなお祝いの時、ご馳走をしたり、金品を差し上げたり、隣近所へ内祝いの品を届けたりする風習がありますね。それは家にとっては散財ですが、ふだんお世話になっている方々への感謝のしるしであり、祝いのお裾分けでもあります。
貧しかった昔、ふだんの生活は質素にしていても、祝いの時は祝儀をおしまなかったのもうなずけます。そして、感謝の対象の一番にあげられるのが神様です。
金銭経済が今ほど発達していなかった昔は、生産された農作物を奉納として捧げました。その名残が祝儀袋の表書きに書く「初穂料」です。したがって、ご祈願の代金ではありません。
七五三でお参りにみえ、お賽銭をあげて写真だけ撮って帰られる方がいますが、こうしたことをご存じないのかもしれません。考えてみて下さい。写真のバックに写っている神社は数百年の歴史の中でその土地の方々の初穂料(御奉納)により存続しているのですから。
初穂料は神様への感謝のしるしです。
当社では一万円以上のお気持ちでお包みいただいております。
儀式の中で神様にささげますので初穂料は祝儀袋に入れてお納め下さい。