神道について

日本の神様 〜神道って何だろう〜

神々の喪失

<一神教的神観・西洋的宗教観の流入>
明治時代以降の信教の自由は在来の神儒仏とは異なる西洋的宗教、一神教をもたらす。
創造主、唯一絶対の神、超越の存在、人知の及ばぬ神 神に対する絶対の服従。救済の神。
神に救いを求め、信じることで救われる。
神に対してこのような印象を持っている人も多い。
しかし、これはゴットであって、カミではない。
カミは前述の通り、日本人の意識した目に見えぬ大切な働きだ。
ゴットをカミと誤訳したことで、日本のカミの概念が西洋の神と混雑し、変質し始める。
世界中で自然発生的に生じた多神教は類似性があるとしても、
厳格な教えのある宗教の存在と混同することはその国の文化を損ねる誘因となる。

<西洋の物質文明と生活習慣の際限なき流入>
西欧列強の圧力に抗する自存自衛の手段として西欧的近代国家建設。
それは自給自足経済国から世界流通経済国への転換。
動力産業・資源大量消費型社会は自国の分を越える国家を作り、
経済優先・科学万能の意識を作り出す。
後のことながら戦後の経済成長の中に溢れる物質は世界中から食料・資源を集積する。
「島国の厳しい条件に耐えた文化」を見失うことは、日本の本質・真骨頂を失うことになる。
しかし、戦後の社会も教育もこの文化のほころびを是正するどころか
日本を形成してきた神々文化に顔をそむけてしまう。その大きな原因が大東亜戦争である。

<戦争という異常時の反動 未曾有の敗戦 精神解体の占領政策>
開国以降近代国家を目指す我が国は西洋の大きな文化の流れに翻弄されながらも
どうにか日本精神を保ってきた。
日本人が文化論好きなのも、西洋文化に流される社会・自己を見つめた時、
本来の日本の心に立ち返ろうとする本能からの現れ。
近代文明を受け入れる中にも、先人たちが失っては行けないと考えた、他に類例無き厳しく貴重なる精神文化であるからだろう。
維新以来の急速な発展も大国列強の軍拡・経済恐慌・共通主義の勃興という時代の大きなうねりに飲み込まれ戦争へ。
運命のなせる業か、はたまた時の国策の誤りか。
戦中の極端な精神論は、多くの悲しい結果をもたらした。
若者は皇国のため、郷土のため、父母家族のために散っていった。
勇敢なる戦死もあれば、口惜しき戦死もある。
資源を絶たれた日本にとって、物質大国アメリカに対抗するための切り札は、日本民族の精神以外無かった。
国威高揚を目的に日本人の根本的精神、『神道』も大いに鼓舞された。
【神道は日本社会の維持機能であり、時には民族としての外敵に対する免疫力ともなる。】
しかし「生きて虜囚の辱めを受ける無かれ」日本の気高く美しい精神は追いつめられ、歪められた。
日本の歴史の中に培われた精神は潔く死ぬことだけであったのか。
いや勇気を持って死を恐れぬ精神はあっても、死ぬことを前提とした戦いはあまりに無惨。

敗戦、GHQの占領政策 日本精神の解体
戦後、基礎(いしずえ)を失った人々の一部に、戦前・戦中の戦時体制の矛盾を国風そのものに置き換え、敵視する風潮を生む。
近隣諸国に迫った赤化の波。イデオロギーで国家の枠を消し去ろうとする動きが潜入する。
文化を無視した政策分離や信教の自由が始まる。
現代日本人は個人的な心情で神々に親しんでいても、公の中の神々は拒絶するという不思議なねじれが生じてしまう。
その結果、我が国の戦後の行き過ぎた国風蔑視の方向が思わぬ人心の乱れを招くこととなる。

戦時体制以前の正常な日本人としての教育を受けた人々が日本を担った社会が終わった今、『日本の神々の喪失』つまり『八百万の規範の喪失』が現実のこととなった。
『自然の神々』を失えば、何の躊躇もなく、環境破壊や水の汚染をするだろう。
自然の恵みに感謝することもなく、ほしい物を手に入れ。いらなくなれば無遠慮に捨てる。
目先の経済優先で、自然の働きを無視した人間の驕り。
『祖先の神々』を失えば、祖先の偉業を忘れ、次代に繋ぐことをしなくなる。
全てが現在生きる者の為だけにあると錯覚をする。生命の連続性を忘れ、結婚しない、子を作らない時代になる。

『精神』を失えば、我慢を忘れ、節度を忘れ、我儘を垂れ流し、
欲望に引きずり回され、本来自分を守るために有るはずの法を束縛するものと捉え、
遵守する者はいなくなる。家庭の、学校の、社会の秩序が乱れ、
家庭の意義も学問の目的も仕事の誇りも失われる。犯罪が蔓延し、不安は日常となる。
今の日本はそういう社会を目指しているのだろうか。
神々を滅ぼし、金神様(金銭欲)のみに溺れるのか。
世界に現在する最も永く続く国。
世界で最も犯罪の少ない国。
正解第二位の経済大国。
一億総中流階級を成し遂げた国。
他にこんな国が有ったのだろうか。他国に範を求めるよりも、過去の貧しくとも一生懸命生きた先人の知恵に学ぶべきではないのか。
それが日本人の忘れた神道『神惟の道』であると思う。

国家であれ民族であれ、それを社会と呼んでも良い。一人一人が重要なのである。
日本人として基本理念(信念)を持ち、様々な事象にはそれから派生する心を持って対処し、
根のあるしっかりとした生活を取り戻すことが私たち一人一人の再生となり、
輝かしい真の日本の再生に繋がるのだと思う。

前のページへ 次のページへ