馬橋稲荷神社

歴史と地名

馬橋村と馬橋稲荷 4

鎮座地
東京都杉並区阿佐谷南2-4-4

新偏武蔵風土記稿

新偏武蔵風土記稿 文化7年(1810)文政8年(1825)に幕府昌平校学問所が編纂した武蔵国21郡内各村の地誌です。

馬橋村は郡の東の方にあり。郷庄の唱なし。江戸日本橋より行程3里半余。民家56軒。村の広さ東西6丁。東は高円寺村にとなり。西は阿佐ケ谷村に及び。南は和田田端の2村につづき。北は上沼袋村に接す。村内平野にして水田は中間にあり。

天水場なれば水損の患あり。青梅街道村の南の方を高円寺村より阿佐ケ谷田端の2村へつらぬく。村内にかかること凡6丁。検地は寛永16年。中川八郎右衛門 関口左衛門。承けてたたせり。

御代官伊奈半十郎預り奉り。夫よりしばしばうつり替わりて。今は小野田三郎右衛門が支配所なり。

[小名]「後原」
北の方沼袋村の境にあり。
「中道」
中ほどにあり。
「田向」
前のつづきにあり。
「大塚根」
南の方和田村の境を云。
「蕎麦窪」
西の方にあり。
「西ノ久保」
文字の如く西の方にあり。
[水利]
用水
西の方阿佐ケ谷村より来たり。村内をふること凡180間ばかり。東の方高円寺村に達す。未流は中野村にて神田上水に落合。
[神社]
◇稲荷社
除地1畝12歩(42坪)小名西ノ久保にあり。村の鎮守なり。本社2間4方。拝殿4間に2間。未申の方に向。前に鳥居をたつ。鎮座の年代群ならず。

◇御嶽社
除地4段25歩(1225坪)小名後原にあり。小祠にて上屋もわずかなり。

◇天満宮
除地4畝24歩(144坪) 前の並びにあり。小祠。平野にして雑木生茂れり。例祭9月25日。

3社いづれも村内福泉寺の持なり。

[寺院]
◇清見寺
年貢地3段
青梅街道の南側にあり。禅宗曽洞派にて。群中本郷村成願寺未。瑞雲山と号す。開山を鉄叟雄と云。北向。本尊千手観音。木の座像。長さ1尺7寸なるを安す。開基群ならず。

◇福泉寺
年貢地2段
小名後原にあり。群中中野村宝泉寺の門徒。本堂東向。2間半に6間。本尊不動を安す。木の立像にて長2尺2寸。開山を秀順と云。寛永14年。正月12日示寂。開基詳ならず。

[土地面積の単位]
3000坪
段(反)300坪
畝(せ)30坪
1坪
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